アジアであれヨーロッパであれ、あるいは、三日であれ一か月であれ、旅から帰って成田空港に着く。(中略)私はいつもバスではなくて列車で家まで帰る。 都心に向かう列車には、旅から帰ってきた人と、これから旅する人たちが乗っている。話している人たちがいても、不思議に静かだ。帰る人の疲れと、旅する人の緊張が混ざり合ったような、ほかの路線ではなかなか味わえない静けさである。 列車がトンネルを出ると、私は窓の外の景色を見る。空港からしばらくは、田園風景が続く。彼方まで続く田んぼは、季節によって一面の緑だったり茶色だったり、はられた水が空を映して青かったりする。山々が、遠くに見えたり近くに迫ってきたりする。冬枯れの景色でも、緑濃い初夏でも、自然の色彩が非常にやわらかいことに毎回あらためて気づかされて、そうして、帰ってきたなあと実感する。 アジアにもヨーロッパにもそれ以外のどこにでも、ゆたかだったりそうではなかったりする自然がある。田舎を旅すればむせかえるような緑の中を歩くことになる。見慣れた田んぼとそっくりな光景を見ることもある。葉の落ちた木々が針のような枝を空に突き刺す景色に見とれることもある。緑の多い町だ、とか、水墨画みたいだ、とか、その程度の感想は抱くが、その色彩についてとくべつ何も思わない。 帰ってきて、車窓から景色をみて思うのだ。この国の色彩は本当にやわらかい、と。木々の緑も、四季に即した山の色も、川も空も。旅先で見てきた木々や空や海といったものが、なんと強烈な色を放っていたのかとこのときになって気づく。 窓の外に緑が少なくなって、次第に家やビルが増えてくる。都心が近づくにつれ、どんどん建物や看板が増えてくる。さっきより「ああ、帰ってきた」がもう少しふくらむ。都心の、空の狭い、ごたついた風景をきれいだと思ったことは一度もないけれど、でも、帰ってくると毎回近しく思う。好きとか嫌いではなくて、私に含まれているかのような近しさを覚えるのだ。 先だって、成田空港まで人を迎えにいった。旅のにおいをまだ濃厚に漂わせている人を到着口で迎え、いっしょに列車に乗り込んだ。旅の話を聞きながら、窓の外を眺めていて、ちょっとびっくりした。旅から帰ってみる景色とぜんぜん違う。退屈な、見るべきところもない田園風景が広がっているのである。そうか、旅のあとじゃないと、ただの日常の光景なのか。都心が近づいてくる。窓の外に私が見ている光景と、旅から帰った人から見ている景色は、まったく違うんだろうなあと思った。 旅というのは、空港に着いたときに終わるのではなく、周囲の景色が、わざわざ目を凝らすこともない日常に戻ったときに終わるのだと知った。 (角田光代『トランヴェール』2012年3月号による)