子どもはこれから自分は大人になっていくのだから、自分はどうなるのだろうとそれは一生懸命に大人を観察している。その大人に魅力を感じれば、あんなふうになりたいと思うかもしれない。ほんのちょっとチャーミングなところを認めて、ああ失敗しても、どじばかりでもいいんだと思えることもあるかもしれない。あるいは、僕はあんな大人にはならないだろうけれど、あんなふうにするのもすてきだなと感じることもあるに違いない。とにかく子どもは、「1」そんなふうに常に大人を見ているのである。
(中略)
子どもはやがて大人になる。その大人に魅力がなかったら、それは自分に明日がないと言われているのと同じことだ。大人になってもつまらなそうだ。楽しいことがなさそうだと感じたら、君の未来はこの程度のものだとつきつけられているのと変わらない。「2」これほど子どもにとって不幸なことはない。
大人はいつも子どもに見つめられている、子どもが自分を観察しているということを自覚していなければいけないと思う。わが身をつくろって、いいかっこするのではない。正直に失敗するのなら、子どもより上手に失敗してみせよう、傷つくなら子どもより上手に傷ついてみせよう。人生の先輩としてというより、現役の子どもに対してベテランの子どもとして、ベテランらしいところを見せてやろうじゃないか。そういう気概の大人がたくさんいれば、子どもたちはきっと大人の世界に魅力を見いだすに違いない。それが幸福な子どもの将来につながるのだと思う。
(大林宣彦『父の失恋 娘の結婚-べそっかきの幸福そうな顔』による)
「1」そんなふうにとあるが、子どもはどんなふうに大人を見ているのか。
1.
早く大人になりたいと思っている。
2.
大人の姿から魅力的な部分を探している。
3.
自分が失敗したときどうするか考えている。
4.
あんな大人にはなりたくないと思っている。
「2」これほど子どもにとって不幸なことはないとあるが、何が不幸なのか。
1.
大人を見ても未来の自分に希望が持てないこと
2.
大人を見てもすてきな大人になる自信が持てないこと
3.
大人を見ても今何をしておけばいいか分からないこと
4.
大人を見ても将来自分のしたいことが見つからないこと
1.
人生の先輩らしく、いつもかっこいい大人でいよう。
2.
ベテランの子どもとして、子どもを幸福な将来へ導いてあげよう。
3.
子どもたちに、大人の魅力的な世界を教えよう。
4.
子どもたちに、ベテランの子どもとしての行いを示そう。