JLPT N2 – Reading Exercise 92

#225

小説家しょうせつかになりたいひとには「きな作家さっかのものを全部ぜんぶむ」という読書法どくしょほうをすすめる。きな、というのは、自分じぶんっているがしてみやすく、しかもたのしいというものだ。いろんな作家さっかをちょっとずつむ、というのでは、あまりにつくものがない。ベストセラーになっている話題作わだいさくをせっせといかける、というのは「1」もっとよくない。 ベストセラーになる小説しょうせつは、とりあえずなにかいいところがあってれているのだから、めば参考さんこうになるではないかとうかもしれないが、それをんで参考さんこうにしているひとがたくさんいる、ということなのだ。みんながねらっている方向ほうこうで、自分じぶんもやってみるというのでは、目立めだつこともないわけである。 (中略ちゅうりゃく) ひとりの作家さっか(あなたにとって、不思議ふしぎ肌合はだあいがよくてたのしめる小説しょうせつひと)の全小説ぜんしょうせつんでみるのは、らずらずのうちに、その作家さっかの「小説作法しょうせつさほう」をかんることである。このひと小説しょうせつを、このように構成こうせいするのだ、そこが心地ここちいいのだ、とわかることである。このひと人間心理にんげんしんりを、このように描写びょうしゃする、このひと社会観しゃかいかんはこうである、なんてこともわかる。 「2」それがわかれば、たようなものをくところまであと一歩いっぽ、なのである。特別とくべつにマネしてこうとおもっていなかったとしても、くものは自然しぜんと、その作家さっか作風さくふうたものになり、初心者しょしんしゃいたにしては完成度かんせいどたかいものになるだろう。 こう反論はんろんするひとがいるかもしれない。小説しょうせついて発表はっぴょうしたいという願望がんぼうは、自分じぶんというものを世間せけんらしめたいということであって、つまりは自己表現欲じこひょうげんよくからてくるものだ。それなのに、他人たにん作品さくひんをマネているのでは、自分じぶん表現ひょうげんにはならないのではないか。 自己表現欲じこひょうげんよくのことは、たしかにそのとおりである。しかし、あわてないでじゅん段取だんどりをんでいこうではないか。いきなり自分じぶんらしさをしたいとかんがえるのではなく、まずは世間せけんいてくれるレベルのものがけるよう、上達じょうたつする必要ひつようがあるのだ。 わたしくものには価値かちがあるのだから、世間せけん注目ちゅうもくしなければならない、とおもんでしまうひと案外あんがいいるのだが、それではなかなかんでもらえない。 だから、まずはうまくけるようにならなければいけない。 そのための訓練くんれんとして、ある作家さっか熟読じゅくどくしているというのは、大変たいへん有効ゆうこうなのである。 (清水義範しみずよしのり小説家しょうせつかになる方法ほうほう』による) 肌合はだあいがよい:ここでは、自分じぶん感覚かんかくらしめたい:らせたい

Vocabulary (70)
Try It Out!
1
「1」もっとよくないとあるが、なぜか。
1. 話題作は次々と変わるので、共通の特徴がつかめないから
2. 話題作となる理由はさまざまなので、参考にならないから
3. 話題作を参考にしても、他者と似た作品にしかならないから
4. 話題作ばかり読んでも、作品の本当のよさがわからないから
2
「2」それとは何か。
1. 自分の好きな多くの作家の小説作法
2. 自分の好きなひとりの作家の小説作法
3. 話題作を書いたいろいろな作家の小説作法
4. 話題作をたくさん書いたひとりの作家の小説作法
3
筆者によると、小説家になりたい人がまず目指すべきことは何か。
1. 自己表現欲に従って、完成度の高いものを書くこと
2. 自分が書いた作品に自信を持って、世に発表すること
3. 自分らしさが伝えられるようにうまく書くこと
4. 世の中の人に読んでもらえる段階まで上達すること