JLPT N2 – Reading Exercise 88

#221

幸福こうふく人生じんせい目標もくひょうである。それだけに一体いったいどういうものが「幸福こうふく」なのかるのは、それを追求ついきゅうする前提ぜんていとして深刻しんこく課題かだいであるとおもう。あるとき、わかひとが、わたしかって「幸福こうふくというのはあるのか」と深刻しんこくそうなかおをしていたことがある。 かれ人間にんげん欲望よくぼうというのは無限むげんつづくものであるから、幸福感こうふくかんまではなかなか到達とうたつしないのではないかというのだ。なるほどそういえるかもしれない。人間にんげん進歩しんぽする動物どうぶつであるならばなおさらのことだ。 でも、わたし幸福こうふく存在そんざいすると思っている。趣味しゅみれいをとっても、あるひと野球やきゅうすることをあげ、ほか人達ひとたち読書どくしょ映画えいが音楽おんがくとそれぞれに主張しゅちょうする。登山とざん魚釣さかなつりというひともいるだろう。このように趣味しゅみひとによってさまざまだが、同様どうよう幸福こうふくについてもひとによってはかんがかたがまちまちだとおもう。 「幸福こうふくとはどのようなもの?」とかれたら「裕福ゆうふくになること」とこたえるひともいるのだろう。また、「社会的しゃかいてき地位ちい到達とうたつする」のを幸福こうふくだとかんがえているかもしれない。ぎゃくにそのような裕福ゆうふくとか社会的しゃかいてき地位ちい否定ひていして、「こころゆたかなひと」になることが幸福こうふくだとおもっているひともいるとおもう。思考しこう感情かんじょう、さらには生活せいかつ様式ようしきさえことなる人間にんげんのことだ。幸福こうふくについてのかんがかたに、があってもいいのではないか。ただおなじく裕福ゆうふく主張しゅちょうしても、おおくのひと幸福こうふくねがって慈善事業じぜんじぎょう協力きょうりょくするひともいれば、一方いっぽうには「がめついやつ」の看板かんばん背負せおってきてるようなひともいる。他人たにんになんといわれようと、そのひとはそれで結構けっこう幸福こうふくなのだ。人間にんげん自分じぶんのためにきるのだから、他人たにん迷惑めいわくさえかけなければこれでもいいのである。 しかし、わたしはスタートの段階だんかいではそれでもいいが、いつまでもそのままのかんがえから進歩しんぽしないのではこまるとおもう。私自身わたしじしんとしては、べつかたをとる。 幸福こうふくというものについて、これだといいれるかんがえはまだわたしっていないが、わたしは「会社かいしゃでの仕事しごとたのしく、家庭かていでの生活せいかつたのしい、つまり一日いちにち二十四時間にじゅうよじかんたのしくごすこと」が幸福こうふくだとおもっている。言葉ことばはすこぶる平凡へいぼんだが、この内容ないよう非凡ひぼんだと自負じふしている。それと、自分じぶん幸福こうふく状態じょうたいが「他人たにんにもたのしく、こころたのしませる」ものでありたいともわたしおもう。 (本田ほんだ宗一郎そういちろう得手えてあげて』による) なおさらのことだ:ここでは、ますますそうだといえる まちまちだ:それぞれちがっている 「がめついやつ」の看板かんばん背負せおってきてるようなひと:けちで欲張よくばりなひと すこぶる:非常ひじょう

Vocabulary (52)
Try It Out!
1
若い人が「幸福というのはあるのか」と聞いたのはなぜか。
1. 今まで何をしても幸福感に到達することができなかったから
2. 幸福についての考えにはいろいろあり、何が幸福かわからなくなったから
3. 人間の欲はなくならないので、いつまでも幸福感が得られないと考えたから
4. 人間の欲はそれぞれ異なるので、幸福についての考え方も異なると考えたから
2
筆者はスタートの段階ではどうすればいいと述べているか。
1. 自分が幸福だと思えることをすればいい。
2. 他人と同じ程度の幸福を目指せばいい。
3. 社会的に評価されることをすればいい。
4. 「心の豊かな人」になることを目指せばいい。
3
筆者の目指している幸福とはどのようなものか。
1. 会社や家庭よりも、社会全体を優先する。
2. 一日二十四時間を、自分や家族のために大切に使う。
3. 常に楽しい生活を送り、その生き方を周りの人に認めてもらう。
4. 会社でも家庭でも楽しく過ごし、その姿が周りの人も楽しませる。