JLPT N2 – Reading Exercise 56

#189

わたしものについてはきらいがおおいが、研究けんきゅう{テーマ}や人間関係にんげんかんけいについてはあまりきらいがない。ところが、いろいろなひとはなしをしていると、意外いがいきらいがあるというひとおおい。この研究けんきゅうきらいとか、このひときじゃないとかよくみみにする。しかし、どんな研究けんきゅうにも視点してんえればまなぶところはかならずあるし、人間にんげん同様どうように、わるめんもあればいいめんもある。やってそんをするという研究けんきゅう非常ひじょうにまれであるし、つきあってそんをするという人間にんげん非常ひじょうすくない。 科学者かがくしゃ技術者ぎじゅつしゃであるなら、発見はっけんにつながるあらゆる可能性かのうせいにアンテナをばすべきで、そのためには、きらいがあってはいけないようにおもう。研究けんきゅうはばや、発見はっけんにつながる可能性かのうせいおおきくせばめてしまう。 ところで、そもそもきらいとはなんだろうか? 自分じぶん研究分野けんきゅうぶんやは、理系りけいであることには間違まちがいない。しかし自分じぶんでも、理由りゆうがあって理系りけいみちえらんだとはおもえない。たんなる偶然ぐうぜんかさなりの結果けっかなのだ。 「自分じぶんこのみや得手不得手えてふえてえらんだ」とあとからうのは、その偶然ぐうぜん選択せんたくなんらかの理由りゆうあたえないと、あとでやむことになるからだとおもう。たとえば、理系りけいみちえらんでおもったような成果せいかげられなかったとき、「なぜ文系ぶんけいみちえらばなかったのか」とおもうような後悔こうかいである。とお過去かこにさかのぼっていちいち後悔こうかいしていては、その時点じてんまえ問題もんだいちからそそげず、まえまえきにきていくことはできない。 そうかんがえると、きらいや感情かんじょうというものは、偶然ぐうぜんかさなりですすんでいく人生じんせい自分じぶんなりに納得なっとくするためにあるようなものとえるのではないか。きらいや感情かんじょうは、無意識むいしきのうちに、自分じぶんまもるために、自分じぶん納得なっとくさせるために、都合つごうよくつものなのだろう。 感情かんじょうきらいは元来がんらい人間にんげんそなわっているものであるというのは間違まちがいないが、人間にんげんは、十分じゅうぶん理由りゆうがないままおこなったみずからの行動こうどうを、納得なっとくし、正当化せいとうかするためにも、感情かんじょうきらいをもちいる。人間にんげんは、ほか動物どうぶつにはない、そんな感情かんじょうきらいの利用方法りようほうほうにつけているのかもしれない。 (石黒いしぐろひろし『ロボットとはなにか―ひとこころををうつかがみ』による) 元来がんらい:初めから

Vocabulary (25)
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好き嫌いがあってはいけないと筆者が考えているのはなぜか。
1. どんな研究であっても、役に立つ新しい発見につなげられるから
2. どんなことでも、自分の研究に役立つものがあるかもしれないから
3. 好き嫌いで判断することによって、悪い面に気づきにくくなるから
4. 嫌いなことには、自分が気づかない重要なことが隠されているから
2
筆者は、どうして理系に進んだのか。
1. 文系が得意ではなかったから
2. 自分の気持ちに従ったから
3. 特に嫌いではなかったから
4. たまたまそうなったから
3
筆者は、好き嫌いとは人間にとってどのようなものだと考えているか。
1. 自分がこれからとる行動を決める時のきっかけになるもの
2. 自分が前まえ向きに生きていくために意識的に利用しているもの
3. 自分の研究や仕事がうまくいくように普段は抑えているもの
4. 自分の行動や選択が間違っていなかったと思うために用いるもの