JLPT N2 – Reading Exercise 16

#149

以下いかは、ある漫画家まんがかいた文章ぶんしょうである。 ぼくはいままで数多かずおおくの漫画まんがやアニメで未来みらいをイメージしてきた。未来みらいを「想像そうぞう」し、そこから作品さくひんを「創造そうぞう」してきた。ぼくにとって想像そうぞう創造そうぞうはごくちかしい、じりったものだとっていいだろう。 では、イメージすること、想像そうぞうすることについてかんがえてみよう。ぼく想像そうぞうには二種類にしゅるいあるとかんがえている。可能性かのうせい希薄きはくでもゆるされる「空想くうそう」と、確度かくどたかいデータにもとづいた「予測よそく」だ。 空想くうそう幻想的げんそうてき意味いみでのゆめ世界せかい予測よそくはやがてこうなるだろうという現実げんじつ延長線上えんちょうせんじょうかぶものだ。このふたつが自分じぶんあたまなかわせられ、出来上できあがっていくものがぼくにとっての「想像そうぞう」だ。 「空想くうそう」のなかには途方とほうもないこともある。子供こどものときにかんがえていたこととなんらわりがない、突拍子とっぴょうしもないものもふくんでいる。「ゆめ」とえてもいいだろう。しかし、ゆめ空想くうそうだけではどこかものたりない。そこで、現実げんじつ延長線上えんちょうせんじょうにある未来みらいについての予測よそく必要ひつようになってくる。しかし、空想くうそう現実げんじつからかけはなれるばかりかといえばそうではないし、予測よそくかなら現実げんじつたるというものでもない。どちらも、未来みらいをイメージする=想像そうぞうすることのうちにあるのだ。 (中略ちゅうりゃくぼく空想くうそう予測よそくきな少年しょうねんだった。子供こどもころから「想像そうぞう」することが大好だいすきだった。しかし、ぼくが「想像そうぞう」をただの「想像そうぞう」にわらせず、作品さくひんつくるという「創造そうぞう」へとむすけてきたのはなぜだろう。僕自身ぼくじしんはあまり意識いしきしてこなかったことだが、こうしてかんがえてみると、やはり「なにのためにくのか」という言葉ことばかびがってくる。 「想像そうぞう」するだけなら一人ひとりでしていればいい。あるいは、友人ゆうじんたちとのおしゃべるで十分じゅうぶんだろう。しかし、「創造そうぞう」するためには、そこに「なにのために」というつよ動機どうき必要ひつようなのだ。 ぼくが「想像そうぞう」したことをもとに作品さくひんを「創造そうぞう」することで、もしかしたら、その作品さくひんをきっかけになにかがわるかもしれない。ぼく人類じんるい一人ひとりとして、この地球ちきゅうがよりよい方向ほうこうすすみ、幸福こうふく未来みらいへとつながっていってほしい。 おおげさなことはあまりいたくないが、おおきな目的もくてきとして、「地球ちきゅう未来みらいのために」ぼく作品さくひんいているのかもしれない。

Vocabulary (12)
Try It Out!
1
想像と予測について、筆者はどのように述べているか。
1. いずれも現実の延長線上にあるものである。
2. いずれも可能性の低い夢のようなものである。
3. いずれも未来のイメージを構成するものである。
4. いずれも未来のイメージを現実化させるものである。
2
筆者にとって、「創造」するとはどういうことか。
1. 「想像」もしていなかったような作品を作ること
2. 夢のような世界を「想像」しながら作品を作ること
3. 「想像」したことをもとに、描く目的を持って作品を作ること
4. 何のために描くのかを意識して、未来を「想像」できる作品を作ること
3
筆者の考えに合うものはどれか。
1. 子供たちの夢が、幸せな未来につながっていってほしい。
2. 自分の作品が、人類の幸福につながるきっかけになってほしい。
3. 地球の未来のためには、自分が漫画やアニメを描き続けることが必要だ。
4. 地球がよりよい方向に進むには、子供時代に想像力を育てることが必要だ。